事務所ニュース:No.78 2016年9月1日発行/創立40周年記念号

40周年・明日に向かって

 私たちの法律事務所は1976年4月に創設されて、今年で40周年を迎えました。当初三軒茶屋で3名の弁護士で走り出した事務所も、今では弁護士10名となりました。

 創設以来、私たちは「地域の皆様の様々な法的紛争の解決に力を尽くす」「全国の働く人々や女性、国民への権利侵害には断固たたかう」「平和、民主主義、そして憲法を守る諸課題に積極的に取り組む」ことを目標に活動してきました。

 こうして40周年を無事迎えられましたのも、多くの皆様からの温かいご指導・ご支援のたまものと感謝申し上げます。

 これまで皆様の身近な法律専門家として、権利救済、紛争の適正解決のためお役に立ってきたとすれば大変に光栄なことです。さらには様々な労働問題、女性差別問題、公害・薬害問題、冤罪、そして近年では福島原発事故など私たちの活動分野はますます広がりつつあります。

 私たちを取り巻く政治・社会の分野では、これから憲法改正問題が大きな焦点となっていくことでしょう。法律専門家の名に恥じない活動をしていきたいと考えています。

 40周年はひとつの通過点です。初心に立ち返り、誰でも気軽に相談できる街の法律事務所、明日に向かって共に足を踏み出していける法律事務所を目指して、より一層努力していくことをお誓いして、ご挨拶と致します。

2016年9月
渋谷共同法律事務所
所員一同

40周年を迎えて

弁護士 柴田 五郎

 1976年、近所の人が下駄履きで来られるような庶民的な法律事務所が世田谷にも欲しい、という地元のみなさんの声に応え、亡くなった坂本福子弁護士、福岡へ行かれた白垣政幸弁護士、事務局は寺下章夫さんと兵頭奈々子さんの5人で三軒茶屋に事務所を創ったのが始まりです。あれから40年、事務所は弁護士10人、事務局5人の中規模事務所となりました。これもみなさまのご指導・ご支援の賜です。心から御礼を申し上げます。

 思い返せば、10代後半に山形から東京にぽっと出てきて、西も東もわからぬままのハンドル人生でした。ミシンの配達・集金・修理、丸の内の米屋の配達、新宿の不動産屋の小間使い、タクシーの運転手等々。車も最初は単車、次は三輪車、次いで四輪車と出世しましたが、相変わらずのハンドル人生でした。

 20代後半、弁護士になってからも同様です。何もわからぬまま、今日は警察、明日も警察、あるいは争議現場と飛び歩きました。

 そんな私がいつの間にやら傘寿を過ぎました。この間大過なく過ごすことができましたのも、みなさまの暖かいご叱責のお陰です。重ねて御礼を申し上げます。

 今は自宅で老体を労りつつ、のんびりと過ごす毎日ですが、これからも事務所の後輩たちの活躍を頼もしく、時には厳しく見守っていこうと思います。今後とも、よろしくお願い致します。

事務所40周年

弁護士 原 希世巳

 この事務所で弁護士になって35年、還暦も過ぎた。

 寝る時間も惜しんで突っ込んでいった、かつてのような体力も気力もない。しかし今、私が誇りに思い、愛してきたこの日本という国を、おかしな方向へと進ませようとする動きを止めなくてはならないとの「思い」は強まるばかりだ。

 「憲法9条は恥ずかしい条文だ」と言って、戦争に協力できる国にならなくては……等と考える政治家まで現れている。弁護士として活動する中で、また中国やアジアの方々から話を聞く中で、侵略の過去を反省し、戦争を放棄して平和国家を目指そうとした日本国民の選択は高く尊敬されていることを知った。

 今が分かれ目のような気がする。ガタが来始めた身体にむち打って、私ができることは精一杯やっていきたいと思う。

 事務所創設当時、日本の弁護士総数は10,689人。今は36,415人なので3.4倍になった。弁護士の仕事も大きく変化していると言われる。企業の従業員として雇われている弁護士も増えた。

 私があこがれたような、市井の人々の思いを受け止め、寄り添い、信頼され、ともに憤り、ともに喜び合うような弁護士人生は、余りはやらないようだ。

 でも、もう10年以上前に解決した依頼者から、今でも結構な数の年賀状が届く。かつて必死の思いで多重債務の整理をした青年から、「子供が生まれた」と幸せそうな写真が届いたこともある。先日は「30年前に法律相談に乗ってもらった」という方から相談の依頼が来た。うれしいことである。

 当事務所も創設時の3人が今では10人。事務局員も含めて、心を通い合わせた集団事務所となったと思う。50 周年くらいまでは頑張りますのでよろしく。

40周年を迎えて

弁護士 淵脇みどり

 40年間、渋谷共同法律事務所を支えて下さった皆様に心から感謝申し上げます。

 私も1985年に入所し、32年目に入りました。

 所員1人1人が、事務所を愛し、互いをリスペクトし合って、困難な課題に取り組み、少しずつ成長してきたと思います。今後ともさらなるご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

 昨夏、母が2度目の脳梗塞で倒れ、経鼻栄養で寝たきりです。看護師さんから、「参議院選挙、不在者投票できますよ。」と聞かれ、「する。」と即答。20歳から欠かさず投票してきた思いから「平和守る」という決意で、不自由な口でも、必死で候補者と、政党名を告げることが出来ました。

 人間ってすごいな、と改めて教えられました。

 安保法制反対の運動の高まりの中で、いろいろなしがらみに制約を受けずに、平和のために、言いたいことを発言できる弁護士の仕事を選んだこと、渋谷共同法律事務所で育てていただいたことは、本当に幸せなことだと実感しております。日本という国が、大きな曲
がり角に来ていますが、この幸せを無駄にせずに、皆様と手を取り合って、真の平和、基本的人権、憲法を守り、さらに輝かせていけるように、微力ながら努力していきたいと思います。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

私の現在―事務所の40年・私の28年―

弁護士 米倉  勉

 私が事務所に加わってから28年。長いようにも見えますが、私本人にとってはそうでもなく、特にこの10年はあっという間でした。

 この間、①「普通の仕事」を大切にしつつ、②それなりの専門分野も持ちたいという欲張りな目標を持って取り組んできました。

 ①の方はきちんと出来ているのか、みなさまの評価を仰ぐしかありません。ご相談をきちんと受け止め、事案に応じた正しい方針を立て、適切な主張と立証に努力する。そうした中で、適正な紛争の解決を実現する。その積み重ねであり、いつになっても難しいです。

 ②の方も、ますます多忙です。モラルハラスメント(人格的・精神的な虐待)による離婚などの紛争解決は、ここ10年近く私の専門的テーマになっています。世相は、そうした人間関係による被害の増大を示しているようです。

 もう1つ、航空・鉄道などの安全についての活動は、私のライフワークです。私はパイロットや管制官など航空労働者の立場で事故調査と責任追及のあり方を考え、航空の安全と健康の確保に取り組んできました。科学技術は進歩しているのに、規制緩和と航空自由化政策の下で、異常運航や事故等の危険は増している可能性があります。そうした中で、エラー(過誤)の糾弾ではなく、エラーを産み出す要因・原因の解明によって、事故の予防に協力することが私のテーマです。

 この「事故防止」というテーマの延長上に、福島原発被害弁護団の活動があります。ここ5年間、弁護団の幹事長の任務に就いてきました。原発事故の発生地である浜通り地域(福島地裁いわき支部)を本拠地とする弁護団ですから、大量の被害者・原告を抱えての多様な活動です。加えて、全国弁護団連絡会の代表世話人や全国原告団連絡会の支援など、全国の裁判の連携・協同を支える裏方的任務を引き受けています。しばらく忙しいですが、頑張ります。

 こうして、目が回るような毎日を過ごしながら、上記「普通の事件」に一生懸命取り組みたいと思います。至らない点は、どうぞご遠慮なくご指摘ください。みなさまのご理解とご支援をお願いいたします。

「巡り会い」を大切にして

弁護士 小林 容子

 私が事務所に入所したのは、ちょうど事務所創設20周年の年でした。その当時事務所は、現在よりも少し渋谷駅に近い雑居ビルの2フロアを使っていましたが、私が入所して1ヶ月余りで現在の場所に移転しました。早いもので、私が所員となってから20年が過ぎ、事務所の歴史の半分をともに過ごしてきたことになります。今となっては、2フロア時代の事務所を知っている所員は少数派となってしまいました。

 この間、様々な事件に巡り会い、事件を介して知り合った方や地域の皆さんとのお付き合いの中で、経験を積むことができ、人としても弁護士としても成長させていただきました。5年ほど前に手話の勉強を始めたのも、聞こえない人と巡り会ったことがきっかけでした。豊かな表情と美しい手の動きに魅了されて勉強を始めましたが、年を重ねるとともに記憶力も低下してきており、悪戦苦闘しております。それでも、諦めずに継続することが大切だと自らに言い聞かせて励んでおります。残念ながら手話の上達は今ひとつですが、手話を介してこれまで知らなかった新しい世界に触れることもできました。

いつの間にか、到底「若い」とは言えない年齢になってしまいましたが、これからも「巡り会い」を大切にして、新しいことや新しい世界に挑戦する若い心は、いつまでも持ち続けたいと思っております。50周年、60周年に向けて、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

40周年によせて

弁護士 萩尾 健太

渋谷共同法律事務所も40周年となり、私も1999年に入所してから17年になった。世田谷と目黒の地域のみなさんの要求に応える地域の法律事務所としての位置づけをもっているが、それに限らず、私自身、全都・全国の多くの皆さんに支えてきて頂いた。

私も多くの事件を担当させて頂いた。どの事件も当事者の人生のかかった事件だ。私が十分に役に立てたのか心配だが、それぞれやり甲斐のあるものだった。

とりわけ感慨深いのは国鉄闘争だ。1987年のJR不採用から、2010年の最高裁勝利和解まで、25年以上もの長期間闘ってきた。2002年、北海道・九州を中心とする被解雇者約300名で提訴した鉄建公団相手の訴訟で解決への道を切り開くことができた。この国鉄闘争を通じて知り合った多くの争議団の事件に関与させていただいたが、裁判所の壁の厚さの前に、悔しい思いをすることが少なくなかった。その中でも、キヤノン非正規労組の闘いで復職を勝ち取り一矢を報いた。現在は、国家公務員の給与減額や社会保険庁・東京都職員の解雇など公務員関係の事件にも取り組んでいる。

他方、年数を重ねるうちに、相続がからむ事件も増えてきた。

 そうしたなかで、事務所の所員の皆さんにはお世話になった。感謝の意を贈りたい。

 現在日本では、当事務所の理念でもある平和・民主主義に反する事態が進行している。憲法を守ることを、多くの皆さんの権利を守ることと一体のものとしてともに取り組みたい。

引き続きよろしくお願いします。

40周年を迎えて

弁護士 千葉 恵子

 2000年10月に弁護士登録し、事務所に入所し16年となります。

 この文章を書くにあたり、30周年の記念誌を読んでみました。

 記念誌を読んでいると、入所にあたって大きな存在であった坂本福子先生がお亡くなりになったこと、柴田先生が一線を退かれたことが寂しく感じます。今でも、仕事をしていると、坂本先生の「何やっているの。」という叱咤激励の声が聞こえてきそうで、気が引き締まり、事件、そして事務所の発展に頑張らなくてはと思います。

 10年前にも書いたことですが、今でも依頼者の方が受け入れられる解決まですすめた時は本当に弁護士をやっていて良かったと思えます。

 当時の好きなことに「フラメンコ」があがっているのですが、引っ越しをしてフラメンコはやる機会を失してしまい、今はマラソン、駅伝を友人と楽しんでやっています。走ることは好き、というよりはむしろ苦手です。ただ、ゆっくりと自分のペースで走るのであれば、長距離を走ることは根性?で可能なので、フルマラソンも何とか制限時間内には完走でき、事務所ニュースでも報告しましたが、数年前の東京マラソンで完走しました。

 昨年提訴しました年金減額違憲訴訟の弁護団に入り、取り組んでいます。年金生活の実際についてのお話を聞くたびに、今の日本を頑張って作ってきた方々が安心して暮らせない年金制度に対して憤りを感じます。自分の今後の問題でもあると思っています。

 入所してからこれまでやってこれましたのは、依頼者の皆様、地域・関係団体の皆様、事務所の方々、そして家族のおかげです。

 そのことを忘れずに、初心を忘れずにやっていきたいと思いますので、引き続きご支援・ご協力を宜しくお願いいたします。

40代の事務所と私

弁護士 吉田悌一郎

 私は、2004(平成16)年10月に当事務所に入所しました。大変に居心地の良い事務所でありまして、もう12年この事務所に居座っております(笑)。

 事務所の40周年にあたり、いろいろと思うところはありますが、まずは事務所も自分も今日まで無事にやってこられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 ここ数年間は、福島原発事故の損害賠償請求の事件にかかわり、弁護士として多くのことを学ばせていただきました。事件は今後もまだ長く続くと思われますが、引き続き粘り強く取り組んで参りたいと思います。

 私は今43歳になりますが、日々様々なことに当惑しながらも楽しく過ごしております。

 趣味と言えるものは特にありませんが、サケとランニングをこよなく愛しております。いや、ランニングは美味いサケを飲むための前座といった位置付けでしょうか。この先も、永く美味いサケを飲み続けるために日々健康維持に邁進し、体力を鍛えたいと思います。

 事務所も私も40代。昔は自分が40歳になることは憂鬱でありましたが、いざ40代を迎えてみると、いろいろとそれまでには見えなかったモノが見えるようにもなり、それなりに楽しく過ごしております。今後50代、60代を迎えたらどうなるか、今から楽しみでもあります。

 事務所も私も、この先もいろいろとあるでしょうが、感謝の気持ちと楽しい気持ちを忘れずに、末永くやって行きたいと思います。

 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

10年目だからこそ初心に戻る

弁護士 髙橋 右京

 私も弁護士登録をしこの事務所に入所してから、今年で9年になります。自分が弁護士として法廷に立ったり、社会的な事件にかかわっているという状況に、今でもときどき、自分でも不思議な思いを持ちます。

 もともと私は、子どものころから明確な夢など持ったことはなく、ただ音楽や洋服は好きだったので、なんとなくそれにかかわるような仕事にでもついて、そこそこ楽しい人生を送れたらそれでいいかな、なんて思っていました。

 そんなわけで、大学卒業後、アパレルメーカーに就職したわけですが、出世欲や競争心が薄い私には、会社勤めに今一つ心が沸き立ちませんでした。それで、辞めよう、でもじゃあ次に何をするんだと思い悩んだ挙句、自分のことについて欲がないのなら人のためにする仕事がいいだろうと思い、じゃあ弁護士がいいんじゃないかと、なぜかひらめいてしまったのです。

 このように、半ば思い付きで会社を辞めて弁護士を目指すという道を選択してしまったがため、実際に弁護士になるまでそこから8年もかかってしまいました。ただ最近になって改めて気づいたのが、自分の弁護士としての原点は、やはり弁護士を目指そうと考えた時の
「人を助ける仕事をしたい。」という思いにあるということです。ここ数年私が活動の中心としている、福島原発被害弁護団の活動でも、1人ひとりの被害者の気持ちに向き合い、理解し、それを裁判所や社会に訴えていくことに、何よりもやりがいを感じます。このことは一般の事件でも同じで、自分の仕事がご依頼者の幸せにつながった時に一番の喜びを感じます。

 まさに初心忘るべからず。弁護士10年目を迎えた今だからこそ、今一度初心を思い出し、今後も「人を幸せにする弁護士」目指して、頑張っていきたいと思います。

1日1日を大切に

弁護士 森  孝博

 渋谷共同法律事務所に入所して丸8年(2008年入所)が経ちました。

 振り返ってみますと、入所当初、事務所創設メンバーである坂本福子先生や柴田五郎先生に誘っていただいて、一緒に事件を手がけさせてもらいました。お2人は私が生まれるずっと前から弁護士をなさっていたわけで、そのような大先輩といわば孫世代にあたるような新人が一緒に仕事をするというのはどこか不思議な感じがしましたが、歴史ある法律事務所ならではの得がたい経験だったと思います。また、事務所の先輩弁護士と、民事事件、家事事件、刑事事件、労働事件、医療事件、行政事件等々、様々な事件を担当させてもらい、目まぐるしい日々でした。3~4年経つと、1人で事件を担当することも多くなり、また、原爆症認定集団訴訟や首都圏建設アスベスト訴訟といった弁護団事件でも様々な役割を担当するようになり、いっそう忙しくなりました。2年間、自由法曹団の事務局次長もつとめ、周りの人に支えられながら、濃密な時間を過ごさせてもらいました。

 そうこうしている内に気づいたら8年が経っていましたが、事務所40周年という節目の年に振り返ってみますと、受験生だった10年前の自分には想像だにしなかった激動の毎日で、事務所に入ってからのこうした日々の経験が今の自分を形作っているのだと感じます。同時に、事務所40年の歩みからみますと、わずか1/5ほどで、あらためて事務所の先輩方が積み重ねてきた40年という歴史の重みを感じます。

 さらに40年後のことはまったく想像できませんが、次の5年、10年を見据えて、目の前の1日1日を大切に積み重ねていきたいと思います。